疲れた。

ここ数日も、過去の苦しみから逃れられず日々憂鬱な気分で暮らしている。

弁護士ドットコムの弁護士の先生にメールにて連絡したので祈るような気持ちで過ごしているが。

騎士団長殺し」の第二部をそろそろ読了しそうだけれど、陰鬱な気分で集中力が低下して中々読み進められない。

村上春樹の小説は、長編だと非リアリズム小説なのだけれど、この作品はリアリズムっぽい始まりだったのに、途中から非リアリズム小説に移行していき文体からは村上春樹の作家としての成熟が伺える。

昔の村上春樹の長編は、アメリ現代文学からの影響があるように思えたけれど最近の長編作品は昔に比べるとそういう赴きはなく、独自の世界観を形作っているように思える。

ちょこちゃんは、突然寒くなったので布団の中に潜り込んで暮らしている。

私は、「2012年以前」は、あんなんでも幸せだった。

2012年以前に関わった人達は、正常だった(私の周囲に居る人達は「メンタルクリニック」に居る人達だけれど、彼らには「良心」があった)

石神井で一人暮らしをしていた頃を思い出す。

あの頃は「鬱病」と診断されていて(今思い出すと、それもおかしい・・・週5デイケアに通っていてどうして「鬱病」と思われていたのか、「発達障害」の二次障害のうつを誤診されていたようだ)

ジュディーというアメショーの猫を貰ってそれなりに幸せに暮らしていた。

その後「薬害」から眼瞼痙攣という瞼の病気になりその頃は「薬害」とはハッキリ理解しておらず(私自身が)間違ってクリニックではなく「病院系統」に移行してしまった。

私は、偏見がないから「クリニック」だろうが「病院」だろうが一緒と思っていたけれど・・・。

「病院」の方は確かに重度の人が多いのか「薬害」が原因で移動したのに益々過剰投薬を受けて問題は、複雑化するばかりだった。

病院系統では、益々私は、孤立してしまい「人間関係」をネットに求めて。

しかし、世間知らずの私が「人間関係」をネットを介して行うのは危険だった。

一般社会でなら誰が見ても「近づいたらいけないと分かる危険人物」

なんだろうに、私には分からなかった。

孤立しているのが辛い・・・そう思い込んで暮らしていたから「自分の個人宅に住み着かれる」のを「嫌だ」と拒否も出来なかった。

今思い返すと「生活保護受給者の個人宅に「家賃が払えないから」と言って住み着く男」なんて明らかな「危険人物」だったのに。

あの経験以降とことん「人間」という生き物が嫌になった。

人間ってこれ程嫌な生き物なのか、と腹の底から思いあれ以後「人間とだけは関わるまい」と思って実行に移したら本当に幸せで・・・。

2012年までは「人と関わる」のは楽しい事だと思っていた。

あの経験以後「人間だけは嫌だ」と思って暮らしているけれど案外幸せだけれど。

とにかく「2012年の地獄」(誰がなんと言おうとあれは「凄惨な虐め」であって「異性関係」なんかじゃあない)

生活保護受給者の個人宅に住み着き「家賃が払えないから出て行けない」と出て行かず孕ませて費用も払わなかった、これだけの事を、さも「男と女の愛憎」だとやった張本人だけが「うっとり」勘違いしている。

2012年に関わった「犯罪者」がやった事は、孕ませて「孕ませた」事実を理解せずこちらが中絶するので、聞かざるをえない「費用と今後」について尋ねたら答えず侮辱をして挑発をするので激昂しこちらが送った(送らざるを得ない状況に追い込まれた)メールの数を根拠として、ストーカーとしてこちらを20回前後通報をして(呼ぶ事自体はいくらでも、出来る)こちらは「中絶するから、現段階ですぐ関係は切れない「父親の欄」に名前を記載して貰わないと・・・」と思っている間にこの「20回の通報」はされた。

費用は全額「福祉事務所」が払ったが「諸費用」は掛かった額より多く請求された(恐喝)。

こういう「犯罪者」が、「異性関係の諍い」だと思い込んでいる。

違う。

2012年自分の身に起こったのは単なる「凄惨な虐め」にしか過ぎない。