「わたしはロランス」と自己愛性人格障害について。

「わたしはロランス」というグザヴィエ・ドラン監督の作品をU-NEXTで観た。

国語教師のロランスは、交際相手のフレッドに性に違和感を持っていて女性になりたい願望を持っている、と告白しフレッドもそんな彼の気持ちを尊重し理解しようと努力したが周囲の偏見や好奇な眼差しに耐えられなくなって、二人は別れてしまう。

そこから数年後再開し、別れ再開しを繰り返す二人の関係を十年に渡って描いたラブストーリー。

映像がポップでオシャレ、しかし長い二時間半ある。

はぁ・・・映画観てもっとうまい事文章が書けたらいいのにな!と思う。

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9年前の「自己愛性人格障害」の人との関わりとそれ以前はどう違うのかと言うと
「それ以前の人間関係」はシンプルだった。

知り合う→付き合う→うまくいかない→どっちもどっちで別れる。

それだけ。

自己愛性人格障害の人」場合違った。
『お前が全部悪い、お前のせいで全てがうまくいかない、お前ごとき世間で人と認められてもいないのに生きやがってよ、生意気なんだよ』

この発言に対して「そんな酷い事言わないでください」と自分が言ったら

『ほーら「自分が悪い」と自覚していない「これだからメンヘラは」「これだから人間以下の癖に一丁前に生存している屑は』

こういう言い方。

結局「この人間」は責めて責めて相手が目の前で首でも吊れば「仕方ない、許してやる」って感じだけれどそうしない限り

「こいつは、てめーがすべて悪いって気がついていない・・・これだから精神疾患の人間は怖い」(この台詞さえ出せば絶対に勝てるという勢い)「自分が悪い」って気がつかないのが病気の症状(謝っても謝っても「こちらも確かに悪いと思っている」と思わないみたい「絶対に自分が悪いと自覚していない」と決めつけて怒鳴り散らされた)

精神疾患である」というこちらの弱みに付け込んで怒鳴り散らしに怒鳴り散らした後

「お前が怒ったら「病気の症状だからな」(さっきまであれ程激しく自分も怒鳴り散らしていたのに・・・)

9年経過しても「あの地獄」は忘れられない。

結局「自己愛性人格障害」ってのは「相手が100%悪い」と思っている。
そう思っているから「人間関係がうまくいかない」のに目の前にいる人間は「100%悪いだけあって自覚していない」という考え方みたい。
白黒思考で「悪者」が居ないと落ち着かない、「周囲の人間は悪者」(そうでなくってもそう思い込む)周りが悪って事は自分は善。

自己愛性人格障害の人は周囲が「悪」か「愚」だと自分が善で賢くなる(実際は、違ってもそう思い込む…他人が馬鹿で悪だと
自分が「善で賢い」って変な考え方だけれどそういう発想)

他人が(特にターゲットとした見下している人間)下だと相対的に「自分が上がる」と考えているから他人は「下」で「悪で愚」じゃあないと内心困る
(だから自分はたいしたもんだ、だから自分は善、賢いという思考回路だから)

本物の自己愛性人格障害の人間は針の先程も「自分は、自己愛性人格障害」とは思わない「まっとうな人間」と思っている。

じゃあその「まっとうな人間」の周囲の人間関係がいつもトラブルだらけなのはどうしてなのか。
「自分にも原因がある」という発想ができない限り永遠に同じ事を繰り返す。

人間関係に於いて「楽しく過ごしたい」ではなくギスギスと「勝ちたい」と思っているんだから自己愛性人格障害の人は他人を不幸にするだけではなく本人自身も不幸な人達(負けを認められない病気だから「自分の持ち合わせた特性が原因で自分は、不幸」とは彼らは認めないだろうけれど)

それが「自己愛性人格障害」という病。

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