鬱病の患者ってのは「嫌な奴」ばかり。

今「断薬記」を読了した。

鬱病で断薬した人の手記。

「精神科の患者同士」ってのは内部にも「差別意識」があって「鬱病の患者」ってのは明らかに「自分たちは他とは違う」と思っている(他ってのは、もっと重篤な人達って意味だろう)

私も「鬱病」と診断されていた頃があるけれど、こんな嫌な自意識は持っていなかった。

「茶話会」とかに言っても顔に「他とは違う、自分はこんな連中とは違う」と自ら参加しておいて、明らかに顔に書いてある人が居る。

私は、親が後先考えなかった為に誤診に基づいて生活保護まで受けてしまった。

親とは、滅多に会いもしないし、心の底から憎んでいる。

法さえ許せば千回でも殺してやりたい位恨んでいる。

「精神科オピニオン」という書籍を読んでいると「自分の親」を殺したくってたまらなくなる。

「精神科の誤診」というのは、本人は言いにくいものなのだから「精神科セカンドオピニオン」の親たちのように「親」が言ってくれないと困るのに、私の親は言ってくれなかった。

おかげで、私の明らかな誤診が発覚したのは、中高年になってから。

成育歴を考慮して「発達障害」で成人後は二次障害の鬱を「鬱病」と誤診を受けていた。

もし私の親が「精神科セカンドオピニオン」に登場する「素晴らしい親たち」のような人達だったらこのように恨まない。

「茶話会」とかに行っても「ここに参加している人達と深く関わると損」と全員が全員に対して思っているんだろうな、と。

精神科(メンタルクリニックでも可)で「友達が出来ない」ってのはこういう事。

お互いがお互いを「こいつらと関わると損になる筈」と思って接している。

連絡先を・・・なんて言ったら異性同性問わず警戒する雰囲気がある。

そのような場に長年身を置いていた結果か「知り合いが欲しい」とは思わなくなった。